【カリスマがクビ⁈】10億円を売り上げた伝説ホスト『咲夜涼』を徹底調査!病気・閉店・クビ・現在の動向について全てを丸裸に!
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テレビや雑誌などにも多数出演し話題になった「咲夜涼」をご存知でしょうか?関西のカリスマホスト『楓十座』とともに、大阪ミナミの夜を華やかに盛り立てた立役者です。
「小学生の時、テレビで見た咲夜涼に憧れてホストになった」「ホストクラブに行ける年齢になったら必ず会いに行こうと思って指名した」というファンもおり、多くの人にホストドリームを抱かせました。
今回は咲夜涼のホストとしての経歴や実績を紹介していくとともに、咲夜涼にまつわる色んな噂の真相を突き止めていきたいと思います。
ホスト『咲夜涼』のプロフィール
まずはじめに10億円を稼いだカリスマホスト「咲夜涼」のプロフィールをご紹介します。イケメンな顔の裏にあった意外な一面とは?
生年月日・身長・血液型は?
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源氏名咲夜涼(さくやりょう)の生年月日は、1983年9月3日のA型。2021年11月現在は38歳です。身長は178cm、スーツを着こなすすらりとした体型です。
座右の銘は「笑売繁盛、有言実行」という咲夜涼。大阪ミナミや歌舞伎町を中心にホストとして活動し、10年を超えるベテランホスト。大阪アクア時代は、『楓十座』と共に大阪ホスト界を大きく盛り上げる存在でした。
ホスト歴は10年以上。年間最高売上は1億6,000万円、月間最高売上は2,800万円と、一般職ではなかなか難しい大金を1人で稼ぎ、きらびやかなホストの世界で成功を納めています。
『咲夜涼』の名前の由来は?
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ホストなど水商売で使われる源氏名。そんな源氏名のつけ方は、人につけてもらう方法と自分でつける方法があります。咲夜涼は前者で、大阪のホストで体験入店した時につけてもらったそうです。
当時ナンバーワンホストであった『J』さんに決めてもらった「咲夜涼」という源氏名。大阪で流行っていた「咲夜」という苗字と「りょう」という名前を掛け合わせ生まれた名前です。
『J』さんは、大阪アクア在籍の『楓十座/かえでじゅうざ』と言われています。東西ホスト対決でテレビでも話題になった楓十座は、40代になった今も、大阪ホストの間で伝説的存在です。
意外にもベタな組み合わせをくっつけて誕生した咲夜涼という源氏名ですが、その後、カリスマホストに負けない実績を生み出すホストへと成長しました。
かつては大阪ミナミのホストクラブ『ings(イングス)』でプロデューサーとして活躍
2010年代後半の『咲夜涼』は、ホストクラブ「ings/イングス」に在籍。プロデューサーとして、広告の打ち出しを行い集客活動を行ったり、メディアからの取材依頼に対応したり、後輩ホストの人材育成を行っています。
毎日午後14時に出社し、上記のようなオフィスワークを行った後は、お店に顔を出しホストたちの様子を伺っているそうです。
2018年頃ホストを引退!
昼はプロデューサーとしてオフィスワークをこなしながら、ホストクラブではプレイヤーとしての手腕も発揮。オフィスワークと平行して行うホスト業。クオリティが落ちているのでは?と感じてしまうスタイルですが、以前と変わらないカリスマ的接客を健在に披露している様でした。
しかし、咲夜涼は2018年頃引退。長きホストの歴史に幕を下ろしました。
咲夜涼の現役時代とは?
ではカリスマと呼ばれる咲夜涼には、具体的にどういった実績があるのでしょうか?
20歳では1億6000万円を売り上げるカリスマホストだった
18歳からホストとして活動している咲夜涼。大阪A店に在籍していた頃は、源氏名をつけてくれたJさんに続き、咲夜涼がずっとナンバー2でした。
年間の最高売上は1億6,000万円で、月間の最高売上は2,800万円。1億を超えるホストは全体の1%ほど、かなり少数派のカリスマ的存在です。
1月の売上の最低ラインは『1000万円』
年間で1億を超える咲夜涼の目標は、月間売上の最低ラインで1,000万円。自分の中で最低限として超えるべき売上げ額を設定し、日割りで計算し目標を明確にしています。
目標売上1,000万円を出勤日数25日で割った1日40万円を目標に、1日の最低目標は「4組10万円」か「10組4万円」で設定していました。
ナンバーワンだったjさんを超えることができるように、しっかり目標を立て努力しています。そして売上目標より少し低い998万円の時に初めてjさんを抜き、ナンバーワンになれたそうです。
大阪から東京歌舞伎町へ上京
大阪でしっかりホストとして実績を積み、今度は東京に上京し東京のホストで働き勝負してみようと考えていました。
しかし、どうせならホスト激戦区である歌舞伎町で「お店を作ろう」と考え、22歳の頃東京に上京し東京Aの代表をすることに。
小学6年生以来の東京はわからないことだらけ、歌舞伎町の場所さえ知らずに世田谷で家を借りていました。
大阪から0の状態で売上1000万円を初日に達成
東京でホストをするということは、大阪時代培ったお客さんはいなくなるということなので、またゼロからのスタートになります。
ホストという仕事はお客さんあっての仕事。ホスト経験があっても、お客さんがいなければ新人と同様です。しかし大阪ホスト時代のメディア取材が上京する様子も放送していました。
そんなメディアの広告力もあり、東京Aはオープンしたばかりなのにお客さんの入りはよかったそうです。初日にも関わらず1日で1,000万円を売上げています。
過去にはカンヌ映画祭にてレッドカーペットを歩いた事も
咲夜涼の歌舞伎町時代の逸話が、24歳の頃アジアのVIPとして招かれたカンヌ映画祭。あの有名なカンヌ映画祭のレッドカーペットを歩いたそうです。
VIPとして招かれた理由は、「ルイ13世」をたくさん消費してくれたからという理由。カンヌ映画祭に協賛しているレミーマルタン社が招待しています。
飛行機はファーストクラス、プラザアテネに泊まる超VIP待遇、映画祭のレッドカーペットは羽織袴で登場し思い出に残る1日を過ごしたそうです。
ホスト歌手として芸能界デビューも果たした
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咲夜涼当時23歳の頃、Club ACQUAの東京店・大阪店の人気ホスト8人でユニットを組み、メジャーデビューするというテレビ番組が放送されていました。Club ACQUA TOKYO代表の咲夜涼の他、東西ホスト対決で有名になった『楓十座』がメンバーに参入。
デビューしたグループ「AcQuA EP/アクア・イーピー」は、「ホストが歌手デビュー」というインパクトで話題性を集め、ホストクラブにお客さんを集めるという広告活動でした。2006年のデビューシングルはオリコンシングルチャート3位。しかし、芸能界に興味がなかった咲夜涼は戸惑いが大きかったそうです。
芸能界活動のために、出勤日数が減ってしまい収入も減少してしまう、思うようにいかない状況に地獄を感じたことも。芸能活動生活は2年契約で、悩み苦しんだ時期だったそうです。
咲夜涼の色んな噂の真相は
カリスマホストである咲夜涼には、いろいろな噂が。噂の真相について迫っていきましょう。
咲夜涼は闘病生活を送っていた
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咲夜涼が地獄だと感じていた芸能活動生活が2年経ち、ようやくホスト一本で頑張れる!と思った矢先、闘病生活が訪れてしまいました。
闘病生活の原因は「C型肝炎」。血液を通して移ってしまうC型肝炎は、治療を行わなければ大変なことになるということがわかり、ブログで「闘病します」と公式で発表し治療に専念しました。
インターフェロン治療という治療を1年間行い、現在C型肝炎は現在99.9%完治しているそうです。
現役復帰・そしてホストクラブrev閉店
1年間の闘病生活が終わり28歳の頃ホストとして現役復帰します。しかし、数ヶ月後に東日本大震災が起き、その影響から東京A店は3月30日に閉店してしまいました。
実際震災が起こる前から経営状態は危うく、お店としてはギリギリ営業している状況でした。そんな状況で震災が起き、東京A店はトドメを刺され閉店せざるおえない状況になったそうです。
東京A店が閉店してしまい、しぶしぶ大阪に戻りましたが、毎月東京へ雑誌撮影のため出張へ行っていました。そして後にやり残した悔しさと苦しさからその後もう一度歌舞伎町へ戻ることになります。
ホストクラブをクビ・電撃移籍
震災の影響で東京のアクアが閉店。大阪の代表を勤めていましたが、東京への名残りから1年で辞め、また歌舞伎町へ戻ってきました。
当時は「ホストをクビになって電撃移籍」という噂が後を立ちませんでした。しかし、この噂は真実ではなく、本人の中に歌舞伎町への想いを残していたからだったそうです。その時は歌舞伎町大手グループへ電撃移籍しています。
大手グループ傘下でフランチャイズチェーン店を出しましたが、1年で潰れ、心が折れてしまいます。ここで、「自分には経営よりもプロデュース業が向いている」と気づきます。ようやく大阪へと帰る決心がつき、今までの経験を生かしたプロデュース業へ方向転換しました。
咲夜涼が在籍したお店イングスとは?
プロデュース業へと方向転換した咲夜涼が在籍したのは、大阪ミナミにある人気ホストクラブ。大阪に2店舗を持つ『INGS FACTORY/イングスファクトリー』でした。
大阪ミナミの『ings/イングス』はラグジュアリーな空間が楽しめる
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大阪市中央区東心斎橋の地下にある『ings/イングス』は、ゴージャスでエレガントな店内です。インテリアやデザインにこだわることでラグジュアリーな空間を楽しむことができます。
ホストも選りすぐりのイケメンが集結し、抜け出すことができない未知なる空間を演出しています。
咲夜涼の近況が知れるSNSは?
咲夜涼はTwitterとInstagramで情報発信中。
咲夜涼はホスト引退後は、ビジネススーツが似合う他の業界で活躍している模様。しばらくSNSから遠ざかっていましたが、少しではあるもののその後を知ることもできます。
ツイッターでは2018年までの咲夜涼の活躍がわかる!
2018年までは『ing』のプロデューサーとして積極的に情報発信しており、その爪痕がしっかりと残っています。
『ing』のグランドオープン時の投稿では「人生は一瞬で、さらにホストは短命です。だからこそ…」というものも。18年のホスト人生を駆け抜けた人だからこその発言ですね。
インスタは昔の大阪アクア時代の仲間たちも登場!
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プロフィール欄には「元 咲夜涼」と一言。2018年の『ing』時代を最後に、空白の期間があり、2021年にインスタ復活!
昔の大阪アクア時代の仲間たちも登場し、現在は飲食店を複数経営するオーナー社長だったり、大阪ミナミの人気ホストグループ『トリプエイト』のNo.1『流川誠』や『榊月敬』だったり。
全盛期の大阪アクアメンバーが揃ったお宝写真に、「あの頃のアクアの思い出は一生の宝です!」とコメントする人もいます。
ブログでは大阪アクア全盛期~闘病で休業までが追える
「咲夜涼OFFICIAL BLOG」はスタートがなんと2008年1月!
アクアで超人気ホストへと花開き、他グループへ移籍。慢性C型肝炎の治療のため闘病生活に入ることの報告など、『咲夜涼』のホスト人生を追うには最適な記録です。
まとめ
10年以上の長い歴史の中には、ホストならではの悩みや、それ以上の苦しみを味わうこともありました。ホストとして長い実績を積んだ咲夜涼だからこそ、全ての取り組みに重みを感じる魅力的な人間味あるホストです。
ホスト歴10年以上、関西ホスト界を盛り立てたカリスマは、プロデューサー・広報活動としての活動を経て引退。現在は新たな舞台で活躍しています。