シャンパンコールの産みの親・伝説のホスト『頼朝』を徹底解剖!失踪説や死亡説は…?【TOPDANDYの伝説】

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歌舞伎町には『伝説』と呼ばれるホストがたくさん存在します。その中でも、『ホストクラブの礎』を築いたとされる、元祖カリスマホスト『頼朝』を抜きにしてホストクラブの伝説は語れません。

シャンパンコールの生みの親でもあり、ホストクラブのエンターテイメント性を向上させてきた、伝説のホスト『頼朝』さんのプロフィールや、現在の活動について今回は迫っていきます。

ホスト『頼朝』のプロフィール

現役ホストの中にも「頼朝さんに憧れて、ホスト業界に入った」というホストは大勢います。ホスト業界に革命を起こし続けてきた『頼朝』さんですが、どんな経緯でホスト業界に身を置くようになったのでしょうか。

『頼朝』さんが、このホスト業界にどのように旋風を巻き起こしてきたのか、詳しく見ていきましょう。

生年月日・身長・血液型は?


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『頼朝』さんは、1971年8月5日生まれ。現在は47歳となっています。血液型はA型。176cmのスマートな長身と、流行りのロングヘアが当時の『頼朝』さんのトレードマークでした。鋭い目ヂカラで、多くの女性たちを虜にしていたようです。

本名は『洋一郎』という、いたって平凡な名前。鎌倉幕府を開いた『源頼朝』を彷彿とさせる『頼朝』という源氏名は、まさに天下を取った男には、ぴったりの源氏名ですね。

法政大学法学部卒業という経歴を見れば、ホスト引退後も、実業家として成功している『頼朝』さんの頭脳明晰さが垣間見れるのではないでしょうか。

一般企業に勤めながらホストをやっていた

もともとは、一般企業でサラリーマンとして働いていた『頼朝』さん。どのような経緯で、ホスト業界に入り、成功を手に掴んだのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

実はホストは元々嫌いだった

大学卒業後、一般企業のサラリーマンとして働いていた『頼朝』さんですが、ホスト業界に入ったきっかけはなんと多額の「借金」だったそう。

1995年、詐欺にあって莫大な借金を抱えた『頼朝』さん。当時は何としてもお金が必要で、サラリーマンと二足のわらじで渋々ホストを始めたそう。

実は当初、ホストという職業を相当毛嫌いしていたらしく、服、接客、立ち振る舞いすべてが全然カッコいいと思っていなかったようです。「どうしてこんなやつがNo.1なんだ」という反発心が、のちの原動力につながったのではないでしょうか。

入社後TOPDANDYでNo1の座をすぐ頼朝は奪った


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topdandy.jp

当時『頼朝』さんが入社した「TOPDANDY」で、NO.1ホストだったのが、なんと以前バイト先で一緒だった後輩だったそう。ここで『頼朝』さんの負けん気が爆発。

「こいつ(かつての後輩)だけには負けたくない!」という一心で、入社後すぐにNO.1の座を奪い取った、というのが『頼朝伝説』の始まりです。それからはメキメキとホストの頭角を現し、全国的に名を馳せるカリスマホストに。

今でこそ大手ホストグループ「GROUPDANDY」の旗艦店として、勢いのある「TOPDANDY」ですが、当時『頼朝』さんの存在が無ければ、大手ホストグループになるどころか「TOPDANDY」の存続すら危なかったのだとか。

当時の生活はかなりの裕福だった

当時は、歌舞伎町の老舗ホストクラブ「TOPDANDY」のナンバーワンとしてテレビ、雑誌などのメディアに取り上げられるほど有名だった『頼朝』さん。当時の収入も相当のものだったようで、セレブな生活を送っていたそう。

都内には90㎡ほどの広い部屋を所有し、バスルームも含めた各部屋には、いつでもどこでも飲めるように、ピンドンが冷えてた、という逸話もあります。

2000年代ではホスト界のアイドル的存在だった


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『頼朝』さんが、ホストとして活躍していた2000年代初めには、歌舞伎町で『頼朝』さんの名前を知らない人はいなかったでしょう。

数多くのメディアや雑誌に取り上げられることで、ホストの枠を超えて『頼朝』さんの名が全国に知れ渡るには、時間はそれほどかかりませんでした。

そのルックスと目ヂカラの強さで、全国のお茶の間をも圧倒。「ホスト界のアイドル」として、全国の女性ファンを魅了したのです。

『頼朝』はシャンパンコールを初めて考案したホストとしても有名


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ホストクラブの定番でもある「シャンパンコール」も、『頼朝』さんが元祖であることは、あまりにも有名な話です。「シャンパンコール」は勿論、現在のホストクラブの礎を築いたのも『頼朝』さんだと言われています。

彼の成し遂げてきた偉業は、今もなおホスト業界に受け継がれており、『頼朝』さんが作り上げたシステムが偉大すぎて、壊せないでいることも事実です。

手塚マキと共にホスト初のボランティア団体『夜鳥の界』を設立

今でこそクリーンなイメージが浸透してきたホストクラブ業界ですが、ほんの十数年前まで歌舞伎町は、新宿でもっとも治安の悪い地区と言われていただけあって、一般の人が近寄りがたい街と化していました。

そんな歌舞伎町を一新するために『頼朝』さんが2005年に立ち上げたのが、ホスト初のボランティア団体「夜鳥の界」です。実際にどんな活動を行っていたのでしょうか。

歌舞伎町を中心にゴミ拾いをする団体

実際にボランティア団体「夜鳥の界」が行っていたのは、歌舞伎町界隈を中心としたゴミ拾いなどです。現「Smappa!Group」の会長である『手塚真輝』氏をリーダーに、地道な活動を行ってきました。

「僕たちにできること」をテーマに、ホスト独自の社会的貢献を目指し、定期的に深夜の街頭清掃活動を実行。当時の歌舞伎町のイメージを、クリーンなものに築き上げた功績もまた、賞賛されるべきでしょう。

『頼朝』が働いていたTOPDANDYはどんなお店?

『頼朝』さんが当時在籍していたお店といえば、歌舞伎町の老舗「TOPDANDY」。

今年で23周年を迎える「TOPDANDY」は、歌舞伎町ホストクラブのパイオニアであり、今でもトップを走る続けるホストクラブでもあります。実際に「TOPDANDY」とは、どんなお店なのでしょうか。

歌舞伎町を中心に50店舗以上かまえるグループ店


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ホストクラブの老舗「TOPDANDY」は、歌舞伎町を中心に、50店舗以上ものホストクラブを束ねる大手ホストグループ「GROUPDANDY」の旗艦店です。

現在のホストクラブシーンを牽引し、今までにも『頼朝』さんをはじめ、『華神覇流』『一条健』など、多数の伝説ホストやスタープレイヤーたちを輩出。

ホストクラブ最激戦区である歌舞伎町において、名実ともに「最高級」の名にふさわしいスタッフの質とサービスのクオリティーで、今もなお、歌舞伎町にトップホストクラブとして君臨しています。

店内は煌びやかでゴージャスな作り


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「TOPDANDY」の店内は、とにかく煌びやかでゴージャスのひと言に尽きます。エントランスを抜けると、まるでそこは「楽園」。総工費1億円の豪華な店内は、圧倒的な広さと迫力を感じられ、歌舞伎町で最も特別な時間を楽しめる空間です。

とはいえ、はじめて利用する方にとっては、「高級ホストクラブはちょっと敷居が高く入りづらい」と感じる方も多いはず。でもご安心ください。

「TOPDANDY」は、20年以上の歴史を持ち、一度もホストクラブに行ったことがないという方も、楽しいトークと落ち着いた雰囲気で安心して楽しむことができるでしょう。

頼朝が経営していたホストクラブ『竜宮城』が業界の基盤を作ったと言われている

現役10年目を迎える2005年に『頼朝』さんは、自身のホストクラブ「竜宮城」を立ち上げ、独立を果たします。この「竜宮城」も、歌舞伎町きっての有名店として育て上げるなど、実業家としての手腕も相当なものでした。

その証拠に、現在のホストクラブ業界の基盤やシステムは、すべてこの「竜宮城」から出来上がったものだとされています。

今では全系列店が閉店になっている


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6年間続いた「竜宮城」ですが、2011年に惜しまれつつも閉店します。一説によると、当時の歌舞伎町は今ほどクリーンではなく、ホストクラブには所謂「ケツ持ち」と呼ばれる暴力団の存在も。

『頼朝』さんはそんな歌舞伎町の裏の部分に触れてしまい、惜しくも全系列店も手放すことになったようです。

しかし、それだけで終わらないのが、やはり『頼朝伝説』。「竜宮城」の閉店は、人生の転機となったようです。その後の活躍にも目を見張るものがありました。

頼朝は失踪や死亡の噂もあったがその真意は?

「竜宮城」の閉店後、パタリと表舞台から姿を消した『頼朝』さん。一時期は、失踪や死亡説まで飛び出したようですが、その真相はどのようなものだったのでしょうか。

実業家のため表舞台から顔を出せなくなった


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「竜宮城」閉店後は、本格的に実業家として転身した『頼朝』さん。歌舞伎町にて「たいよう整骨院」を開業したり、ワイン好きが高じて、日本ソムリエ協会認定資格ソムリエ資格を取得したりと、実業家の道を着々と歩き始めます。

2012年には、ミクロネシア連邦観光親善大使に本名にて任命されるなど、輝かしい功績も。その他にも、イタリアンレストランや、アパレルのプロデュースなど多方面にわたって手腕を発揮しています。

表舞台に姿を現さなくなったのは、ホスト時代ほどの勢いはなくなったものの、実業家であるゆえ、本業が忙しかったこともあったのでしょう。

暫くして復帰・メディアにも復活


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失踪説や死亡説まで飛び交っていた『頼朝』さんですが、やはり人気は衰えてはいなかったようです。暫くしてメディアにも復活し、以前にも増してかっこいい姿を見せてくれました。

活躍の場も多く、大手企業とのタイアップなど、ホスト出身の芸能人のなかでも、最も成功した人物として認知されています。現在でも、数多くの芸能人や有名人との交流も多いようです。

死亡説は全くの嘘!

『頼朝』さんの死亡説は全くの嘘で、現在は飲食店のコンサル、プロデュース業をする傍らで、新しい事業にも取り組んでいます。

当時の「シャンパンコール」を彷彿とさせる「コールアーティスト」という新たなカテゴライズを構築し、アーティストとしても活動したり、自身の本を出版している経験もあることから、メンズファッション雑誌「NINE CONTINUE」のプロデュースという、新たな領域でもチャレンジしています。

頼朝は現在もブログを更新中!


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不定期ではありますが、『頼朝』さんは2011年から続けてるアメブロを現在でも更新中です。自身の日常をおもに綴っています。

また、Instagramでは、セレブリティーな方々とのツーショット写真も多く、現在の彼の活躍を垣間見ることができますよ。

まとめ

いかがでしたか?ホストを引退してもなお爆進し続ける『頼朝』さん。デキる男は、どこへ行ってもパワーがありますね。「コールアーティスト」という新たな境地も開拓し、再び『頼朝』さんの「シャンパンコール」を見てみたいものです。

今もなお、進化し続ける『頼朝』さん。次はどんなことにチャレンジしてくれるのか、ますます目が離せませんね。

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